金が足りない、とそいつは済まなさそうに言った。
おれはびっくりしてそいつの持っている整理券を見た。「3」。料金表と見くらべてみる。3のところは四百六十円だった。これだけしかない、と言ってそいつは手のひらをさしだした。手のひらには、百円玉が一枚と十円玉が六枚、後は一円玉と五円玉が何枚かあるだけだった。
舌打ちをして、おれは顔を上げてそいつのことを見た。そして、目が離せなくなった。そいつが着ているのは、垢じみてすりきれたジーンズと、汗臭そうな黒いシャツだった。でも、少しも汚い感じがしなかった。体なんか洗わなくても美しい羽根を保ち続ける、風を切って飛ぶ鳥みたいだった。髪の毛は、脱色したのか、うすくあせた色をしていて、長く伸ばした前髪が、顔の上にかかっていた。その髪の下から、切れ長の、金色に近いとび色をした目が、困惑の色をたたえておれを見ていた。
これまで見たこともないような、きれいな男だった。
おれが口もきけないまま、ばかみたいにそいつに見とれていると、そいつはもう一度「すまない」と言った。それでおれはやっと、家に忘れてきたのか、と訊いた。そいつは違う、と答え、旅をしているのだと言った。それでまちがえて乗り過ごしてしまったのだ、と弁解した。
おれはどうしようかと思った。このままゆるしてやってもよかったが、そうすればこいつとはこれきりになってしまう。こいつは旅行者だと言ったから、ここで別れたら二度と会えないかもしれない。 後ろの席から杖を持ったばばあが、なんでもいいからはやくしろ、医者の予約があるのに遅れたらどうする、と文句を言ってきた。
老人パスで乗ってやがるくせに、とおれはいらっとした。もうけにもならないのに乗せてやっているのに、文句なんか言われるすじあいはなかった。おれは首を回してばばあに「ちょっと待ってください」と言ってから、男の方に向き直った。
おれは少し考えてから、金は後でいい、と言った。明日でもあさってでも、いつでもいいから、そのかわり必ず払え、だから何か身分を証明するものを見せろ、と男に命じた。
男はほっとした様子で、持っていたずた袋の中をさぐって、角が折れてよれよれになった保険証をおれに見せた。
国崎往人――――――それがそいつの名前だった。
(「小鳥2 〜逆襲の国崎往人〜」より抜粋)